
久しぶりに同級生と再会し、有名企業で活躍している話や、出世して高収入を得ている話を聞くと、
「あのとき、自分ももっと頑張っていれば……」と過去を振り返りたくなるものです。
もちろん、学歴や知識が人生の選択肢を広げることはあります。
しかし、それだけで「幸せ」は約束されるのでしょうか?
仕事で成功していても、どこか満たされない人がいます。
一方で、決して高学歴ではなくても、毎日を充実した気持ちで過ごしている人もいます。
では、この違いはどこから生まれるのでしょうか。
この問いに、100年以上前から独自の答えを示していた心理学者がいます。それが、アルフレッド・アドラーです。
アドラー心理学では、幸福は「何を持っているか」や「どれだけ優秀か」で決まるものではないと考えます。
学歴や年収、肩書きといった外から与えられる条件ではなく、自分自身の生き方や他者との関わり方の中にこそ、幸せはあるというのです。
この記事では、アドラーが考えた「幸福」の本当の意味と、その幸せに近づくための考え方を、わかりやすく解説していきます。
アドラー心理学とは?幸福を考えるための出発点
アルフレッド・アドラーは、フロイト、ユングと並んで語られることの多いオーストリアの精神科医で、「個人心理学(Individual Psychology)」と呼ばれる学派を築きました。主著には『人間知の心理学』(1927年)や『生きる意味を求めて』(原題 What Life Should Mean to You、1931年)があります。
アドラーの考えを貫く柱の一つが、「共同体感覚」(ドイツ語で Gemeinschaftsgefühl)という概念です。
自分の利害を超えて、他者や社会の幸福に関心を向ける感覚を指し、アドラーはこれを心の健康の中心に置きました。人は一人では生きられず、常に誰かとの繋がりのなかにいる。
だからこそ、その繋がりをどう感じるかが、その人の幸福を大きく左右する、という見方です。
この共同体感覚については、後年の実証研究もあります。心理学者のジェームズ・E・クランドール(James E. Crandall)は、共同体感覚を測る尺度を開発し、その水準が高い人ほど心理的な適応や幸福感の指標が良好である傾向を報告しました(Crandall, 1980)。相関を示した研究であり、因果を証明したものではありませんが、他者への関心と個人の幸福が結びつくというアドラーの見立てを、データの面から裏づける結果です。
アドラー心理学がといた「幸福とは?」という問いへの答え
では、アドラー心理学は「幸福とは?」という問いに、どう答えるのか。
私たちはふだん、幸福を「何かを手に入れた状態」として思い描きがちです。いい学校を出ていれば、もっと収入があれば、まわりに認められれば幸せになれる、というふうに。
けれど、手に入れた条件は、上を見ればきりがありません。
あの人のほうがいい大学を出ている、あの人のほうが稼いでいる。そうやって誰かと比べ、足りないところを数え続けるかぎり、その幸福はいつまでも安定しないままです。冒頭の同窓会で感じるような、他人と引き比べての引け目も、ここから生まれます。
アドラーは、幸福をそれとは別の場所に見いだしました。出発点にあるのは、人生の意味についての考え方です。
『生きる意味を求めて』の中でアドラーは、人は誰もが意味を求めて生きているが、その意味は他者の人生への貢献のなかにこそある、という趣旨を述べています。自分が何を手に入れたかではなく、誰かの役に立てているという実感。そこにこそ、生きる手応えの源がある、という見方です。
この考え方を、後世の解釈がさらに一歩進めました。
アドラー心理学を対話形式で読み解いた『嫌われる勇気』は、
幸福を「貢献感」自分が誰かの役に立っているという感覚として定義しています。
ここで大切なのは、それが他者からの評価や見返りとは切り離されている点です。
感謝されるかどうか、認められるかどうかにかかわらず、「自分は誰かの役に立てている」と本人が感じられること。
それ自体が幸福だ、という捉え方です。なお、この明快な定義は、アドラー本人の言葉そのままではなく、著者による整理である点は分けて受け取っておくと誤解が少なくなります。
この定義には、意外な軽やかさがあります。幸福が他者の評価に依存しないのなら、それは誰かに与えてもらうものではなく、自分の向き合い方しだいで手にできるものになるからです。
幸福のために必要な三つのこと──自己受容・他者信頼・他者貢献
では、その貢献感としての幸福に近づくには、何が必要なのか。『嫌われる勇気』は、アドラーの理論をもとに、三つの段階として整理しています。いずれもアドラーの共同体感覚という考え方に根ざしたものです。
自己受容──ありのままの自分を受け入れる
出発点は、今の自分をそのまま認めることです。ここでいう受容は、開き直りとは違います。「できない自分」を無理に「できる」と思い込むのではなく、できない部分も含めて、それが今の自分だと引き受けたうえで、変えられるところに目を向ける。理想の自分と比べて減点し続ける構えを手放すこと。それが、他者と健全につながるための土台になります。自分をありのままに受け入れられていない状態では、他者を信じることも難しくなるからです。
他者信頼──他者を「敵」ではなく「仲間」とみなす
次に必要なのが、まわりの人を、警戒すべき相手ではなく、ともに生きる仲間として捉える視点です。たとえば職場で、頼みごとをするたびに「面倒だと思われないか」と身構えていると、相手との間にはいつまでも距離が残ります。裏切られるかもしれないという不安を根拠に相手を疑い続ければ、深いつながりは生まれません。もちろん、無条件に人を信じれば傷つくこともあります。それでもアドラーの立場は、つながりのなかで生きる以上、他者を仲間とみなす選択のほうが、幸福には近い、というものです。相手を仲間だと思えたとき、はじめて次の他者貢献にも自然に踏み出せます。
他者貢献──誰かの役に立っていると感じる
そして、貢献感としての幸福が実る場所が、この他者貢献です。特別な行いである必要はありません。同僚の仕事を少し手伝う、家族のために食事を用意する、そうした日々の営みのなかで「自分は役に立てている」と感じられること。それが幸福の実感につながります。この点については、クランドールの別の研究も示唆的です。共同体感覚が高い人ほど、強いストレスにさらされても不調に陥りにくい、という緩衝効果が報告されています(Crandall, 1984)。他者への関心と貢献は、幸福を支えるだけでなく、自分自身を守る働きも持つ可能性があります。
まとめ
幸福とは何か。アドラー心理学の答えは、何かを手に入れた先にある到達点ではなく、「自分は誰かの役に立てている」という日々の感覚のなかにありました。自分を受け入れ、他者を仲間とみなし、その人たちのために動く。その積み重ねのなかに、幸福は静かに宿る。派手さはありませんが、誰の手にも届くところにある。アドラーの考えは、そう伝えています。
もっと知りたい人へ──『嫌われる勇気』
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 岸見一郎・古賀史健 著/ダイヤモンド社/2013年
アドラー心理学を、哲学者(哲人)と青年の対話という形で読み解いた一冊です。「すべての悩みは対人関係の悩みである」「幸福とは貢献感である」といった考え方が、青年の反論を挟みながら平易に語られていきます。本書はアドラーの学説そのものではなく著者独自の解釈だと断られている点も含め、幸福について考える入り口として読みやすい本です。書店やオンライン書店(Amazon、楽天ブックスなど)で「嫌われる勇気 岸見一郎」と検索すると見つかります。
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